子どもの言葉に傷ついたとき、私の心が教えてくれたこと

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むすめが夫に「かっかが死んだらどうする?」と聞いていた。
夫は落ち着いた声で「おとうちゃんがなんとかするから大丈夫」と答えた。
そのあとむすめは、
「じゃあ3人で公園行ったりする?」と楽しそうに言った。

そのやりとりを聞いた瞬間、胸の奥がギュッと痛くなった。
——あ、私、いなくても大丈夫なんだ。
そう思ってしまって、涙がこみ上げた。

家族のために良かれと思って頑張ってきた。
できるだけ笑顔で、穏やかでいようとしてきた。
でも本当は、
「私も頑張ってるんだよ」
「寂しい」
って言いたい時もあった。

むすめが私に優しい言葉をかけてくれることを、どこかで期待していた。
「頑張ってるのに」「こんなに我慢してるのに」——そんな気持ちが重なって、
むすめの無邪気な言葉に触れた瞬間、音もなく崩れてしまった。

私は、自分の心を守るために、もっと“我慢すること”をやめようと思った。
死んでも後悔しないくらい、自分の気持ちをちゃんと大切にして生きたい——
そんなことを、ぼんやり考えた夜だった。

そのあと、元気をなくした私を見てか、
むすめがそっとくっついてきた。
何も言わず、ただ体を寄せてきた。
言葉はなかったけれど、その温もりで
「本気で言ったわけじゃないんだな」ってわかった。

“かっかが嫌い”と言われるのも悲しいけど、
「自分の気持ちと親の気持ちは違う」
「言うこと聞くのやだ」って言えるようになったんだなって思った。

思えない時もたくさんあるけど——
それも成長なんだよなって、今は少しだけ思える。

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