『行きたくない』の奥にある、娘の小さながんばり

Uncategorized

朝、「保育園行きたくない」と言った娘。
その言葉の奥に、どんな気持ちがあるんだろう。
カラーガードの練習で少しずつつまづきながらも、一生懸命ついていこうとする姿を見てきたからこそ、胸がぎゅっとなった。
「頑張れ」と言うのは簡単。でも、頑張りすぎてしまう子に何を伝えたらいいのか、私は少し迷っていた。


娘は、運動会で「カラーガード」を担当することになった。
自分で希望して選んだ役。最初は嬉しそうに、張り切って練習していた。
でも、少しずつ“できないこと”に気づいていった。

周りの子より覚えるのはゆっくりで、同じようには動けない。
それでも先生たちは娘のペースや気持ちを尊重しながら、あたたかく見守ってくれていた。
「保育園では頑張るぞ!」と前向きに話す娘の姿もあった。

けれど、「スピン」という技がどうしても怖かったようで、
やがて「スピンこわい」「やりたくない」と言うようになり、
とうとう朝の行きしぶりがはじまった。


私の仕事が休みの日、娘の体調もすぐれず、思い切ってその日は休ませた。
先生に申し訳ない気持ちがあった。
けれど、娘をどこまで頑張らせていいのか、分からなかった。

もう少し私に気力があれば、
一緒に笑いながら保育園へ向かえたかもしれない。
先生のために頑張るのは違う。
でも、「無理しないこと」は本当に娘のためになるのか――
そんなことを考えながら、その日を過ごした。


後日、先生から「娘さんが休んだの、私も悲しかったです」と言葉をもらった。
でも同時に、「できることを楽しくやるのが一番」と言ってくださり、
「スピンをやりたくない時は、座っていてもいいよ」と伝えてくれたそうだ。

その言葉を聞いて、私はほっとした。
娘は十分に頑張っている。
できることを、できるだけでいい。
それが私の本音だった。


それから私は、
「カラーガード頑張ろうね」と言うのをやめた。
代わりに、
「やりたくなければ、やらなくてもいいよ」
とだけ伝えた。

投げやりじゃなくて、プレッシャーをかけたくなかった。
すると不思議なことに、次の日から娘は「行きたくない」と言わなくなった。
「カラーガードできたらかっこいい?」と、少し笑って聞いてきた。

たまたまかもしれない。
でも、ほんとうに不思議で、拍子抜けするような変化だった。


まだ運動会まで時間はあるけれど、
今は、娘の小さな一歩を見守ることができている気がする。
“頑張ること”のかたちは、きっとひとつじゃない。
その子のペースで進む勇気を、これからも信じていきたい。

「子どもの“行きたくない”には、理由がある。
無理に引っ張るより、いったん手をゆるめることが、
その子の力を信じることなのかもしれません。」

コメント

タイトルとURLをコピーしました